赤旗の「潮流」から学んだこと
障害のある人たちは障害ゆえにできない自分に気づき、いじめの体験がある一方で、自分で決める経験は少なく自己肯定感の低い人が多い―。千住真理子さんは、そう話します。元教員で、大阪府松原市の福祉型専攻科「ぽぽろスクエア」の職員です▼福祉型専攻科は、障害のある人が高等部卒業後に2~3年間通う学びの場です。そこで千住さんは性教育「こころとからだの学習」と進路「グッドライフ」の授業を担当▼「グッドライフ」では、相談できる力と自分の進路を考える力を育てることを大切にしていると千住さん。否定せずに話を聞くことで、青年らは自分の思いを語れるようになると▼男女のからだを学び、性交からいのちの誕生を知り、産道体験や沐浴(もくよく)体験をする授業も。自分の育ちに気づき、自身や付き合う相手を大切にする気持ちが芽生えます。「知りたいことが学べる」と大人気です▼「できない」「助けて」「わかりません」。これらが言えると、ほめられます。何をしてもいいとわかると要求が出る。要求がかなうと達成感が生まれ、意欲が育ちます。だからこそ話し合いが大切に。話し合いを重ねる中で安心や信頼が生まれます▼二つの授業を通して、青年たちは自分自身を知ることに。そして、自分のことは自分で決める力を獲得していきます。進路先、誰と付き合うか、誰が自分のからだに触れるのか…。自分の思いや願いを伝えられるようになると、生き方を決められるように。「人生の心の主人公」になるのです。
上の文章は2024年3月3日の日刊赤旗のコラム「潮流」の全文。
会議の中で一人一人が心を開くのも同じ。「「できない」「助けて」「わかりません」。これらが言えると、ほめられます。何をしてもいいとわかると要求が出る。」というところが大切だと感じる。
集団の中で心を開くためには安心感が必要。警戒していると身構えてしまう。自分のことをしゃべって、受け入れてくれて初めて心が開かれる。何でも話ができるというのは、間違ったことを言っても否定されないということ。会議は議論を交わす場所だけれど、互いに心を開く会議の場合は、やんわりと受け止めてもらえることが重要。間違っていることでも、みんなでいろいろな意見が出て、一緒に考えてなるほど、そういうことかと視野が広がれば、意見が否定されても心地よいことになる。
視野が広がり、新しい地点に立てると気持ちがいい。会議の席で投げられたボールは、柔らかなクッションの中に落ちて、包み込まれるのがいい。大事にされてから、一緒に考えると投げられたボールは、別の形になって生まれ変わる。会議というのはそういう場。新しいことを生み出すためには、まずは、投げられたボールを受け止める柔らかなクッションがいる。そこから集団での対話が始まる。
Bニィリエのノーマライゼーション原理の5が、ノーマルな個人の尊厳と自己決定権。自己決定権はノーマライゼーションに重要なのですが、これは日本では確定された権利ではないそうです。憲法13条幸福追求権から自己決定権を根拠づける説もあるようながら、説に過ぎないのかもしれません。権利条約に、合理的配慮の欠如も差別であると明記され、配慮が如何に必要かということのようです。因みにノーマライゼーション原理の6はノーマルな性的関係。あと対話の大切さですね。これを推し進めると、オープンダイアローグという療法になるようです。対話第一。
この話は、ぼくの知識にないことなのでもう少し展開していただければありがたいかなと思います。
ウィキペディア。ノーマライゼーションとは1950年代に北欧から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も健常者と同様の生活が出来るように支援すべきという考え方です。そこから発展して、障害者と健常者とはお互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿である。という考え方としても使われます。またそれに向けた運動や施策なども含めます。ベンクトニリエはカナダのノーマライゼーション推進に寄与。1960年、ノーマライゼーションを8つの原理に分けて示しています。障害者権利条約は2006年に国連総会にて採択。2014年に日本も批准。それには差別解消法の制定が大きかったようです。条約は法律の上位に来るもので、日本の施策に更なる反映が期待されます。で、本文最後の、障害者が心の主人公になるというくだりは、ナラティヴアプローチらしく思われます。(=物語アプローチ)とは、患者などを支援する際に、相手(主人公)の語る物語を通して解決法を見いだしていくアプローチ手法です。